What A Friend We Have In Jesus (慈しみ深き友なるイエス)

What a friend we have in Jesus, all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry, everything to God in prayer!
Oh what peace we often forfeit
Oh what needless pain we bear
All because we do not carry, everything to God in prayer

慈しみ深き友なるイエスよ!
私達が積み上げてきた罪と悲しみ
それらが、祈りによって癒されていきます
祈りを忘れるとき
負う必要のない苦痛と伴に、身も心も崩れていきます

Have we trials and temptations?
Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged, take it to the Lord in prayer
Can we find a friend so faithful
who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness, take it to the Lord in prayer

試練と誘惑、それらは何処にでもあるものです
祈りを捧げ、その試練に立ち向かいましょう!
痛みを分かち合うことのできる友はいるのでしょうか?
イエスは私達の弱さを知っています
祈りを捧げ、その弱さを乗り越えましょう!

Are we weak and heavy laden, cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge, take it to the Lord in prayer
Do thy friends despise, forsake thee?
Take it to the Lord in prayer!
In his arms he'll take and shield thee, thou wilt find a solace there

心配ばかりで、重荷に絶えることができません
救主は私達のすぐそばにいます
祈りを捧げ、その重荷に絶えましょう!
慈しみ深き友なるイエス!
その腕で私達をお守りくださるでしょう!

翻訳/チャーリー横山


この詩は 1855年、北アイルランド出身のジョーセフ・M・スクリヴェンによって書かれたました。
ジョーセフは、故郷の北アイルランドで、結婚式の数日前に婚約者を思い掛けない溺死で失います。
その後、悲しみを乗り越えカナダへと移住しますが、そこでもまた、結婚式の直前に婚約者を失いました。
その悲しみは、私達の想像を遥かに越えるものであったに違いありません。
ジョーセフは、その慰めをイエス・キリストに見い出したのです。

その後、ジョーセフは山にこもり、いわゆる「山上の垂訓」(マタイ伝5章〜7章)イエスの教えを実行することに努めたのです。
自分自身がどんなに貧乏であっても、自分より気の毒な立場の人達を見れば、自分の持っている物を惜し気もなく分け与え、
時には自分が着ている衣服でさえ脱いで与えたと言われています。
私達には、まねのできないことです。
ジョーセフ「ポート・ホープの善きサマリヤ人」とも呼ばれていたそうですから、彼の信仰心と人柄を察することができます。

この「慈しみ深き友なるイエス」という詩は、故郷北アイルランドに残してきた母が「病に倒れた」という知らせを聞いて、
愛する母親に書いた手紙にしたためられていたそうです。




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